風のある暮らし

東京から見知らぬ田舎へ。更年期の母ひとり、思春期の子ひとり(中学男子)の暮らし。

会ったことのない私の祖父母。負の連鎖を私の代でたちきりたい

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私には、父方の祖父母も母方の祖父母もいませんでした。なので、私は今まで一度も『おじいちゃん』『おばあちゃん』と呼んだことも甘えたこともありません。おじいちゃんとおばあちゃんは、私の憧れ存在だったのです。 

 

父方の祖父母

私にとっての祖母は、父が学生の時に病気で他界。私にとっての祖父が再婚したことで後妻に追い出される形で、父にとっての祖母と父の兄弟と家を出て暮らし始めたそうです。

 

後妻の子供と食事内容に差をつけられたり暴力があったり。後妻の相当な嫌がらせがあったとか。まるで昼ドラのようですね。

 

祖父も助けてくれなかったことで、父は家を出ると同時に祖父と絶縁。祖父のお葬式にでることもなかったそうで、当然今もお墓参りもしたことがないようです。というのを社会人になって親戚から聞きました。なんとも根深いものを感じます。

 

父にとっての祖母、つまり私にとっての曾祖母は私が小学生まで健在で、同居していましたが、私の憧れの”おばあちゃん”ではなく、どギツイ人でかわいがられることは一切なく、しかも母をいじめ倒す、私にとっては敵のような存在でした。

 

母方の祖父母

私にとっての祖母は、母が学生の時に自ら他界。私にとっての祖父は私が小学生ごろまで健在だったようですが、遠方に住み、母の口から多く語られることもなく、交流は年賀状のみ。

 

毎年送られてくる私当ての知らない人からの年賀状。『この人誰?』と聞いてもはぐらかされ、一体誰なのかもよく分からないまま『あけましておめでとうございます!私は元気です!』と全然めでたくない気持ちで年賀状を書かされていました。

 

母はいいとこのお嬢様だったそうですが、祖父が知人の借金の保証人になったことで借金をかぶるというマンガにありがちな展開で一文無しに。

 

もともと劣悪だった祖父と祖母の関係はさらに悪化し、祖母は心を病み最悪な結末へ。というのを社会人になってから親戚から聞きました。

 

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保育園卒園までは行事のお弁当はいつもキャラ弁。5時前に起きて会社で寝てました(えっ)

 

同じ過ちを繰り返してはいけない

そんなわけで、私には祖父母は存在しませんでした。父には父の、母には母の事情と心情があったのでしょう。幸せいっぱいの家庭に育っていないことは理解できます。辛い思いもしただろうと理解できます。恨みつらみもあっただろうと理解できます。

 

でも私は孫として会ってみたかった。私が子供を父に会わせないようにするのは簡単なことです。でもそれでは父と母と同じことをすることになります。

 

色々事情を抱えた家庭に育った父と母。その父と母の家庭で育った私。そしてその私に育てられる子供。

 

私は同じことを繰り返したくありません。私の代でこの負の連鎖をたちきりたいのです。

 

子供が『じーちゃん!じーちゃん!』と呼ぶのを聞くと、単純に私も嬉しい気持ちになります。この子におじいちゃんが存在してよかった、絶縁しなくてよかったと、心から思うのです。

 

なので、私は子供に危害が加えられるようなことがない限り、これからも子供を父に会わせるつもりです。

 

それは、子供を母子家庭にしてしまった私の最低限の義務でもあると思っています。