立派な家を3軒も建てた父から、私と子供の惣菜費1500円をしつこく咎められました。今後は割り勘にしてほしいと言われて納得がいかないという最後のお話です。
父の社会的地位
父は社会的に立派と言われるような役職につく人です。昔から『お父さんすごいね』『お父さん立派だね』と親戚や地元の人に言われましたが、私は全く嬉しくありませんでした。
むしろ、『なにが?』『どこが?』『なんで?』と、父の世間的な評価が理解できずにいましたし、父の娘であることに嫌悪感すら抱いていました。
私がシングルマザーになって、親戚に言われて一番嫌なこと。それは、
『でもよかったわよねぇ。立派なお父さんがいるんだもの。お金の心配は何もいらないでしょ。』
仕事をやめて移住を決めたときも。
『いいわよねぇ、あのお父さんがいれば安心して好きなことできるものねぇ。』
なのでいつもはっきり言っていました。
『私は今まで父から1円ももらっていませんよ。もらうつもりもないですし、父もそういう人間ではないので。』
それでも『そんなのありえない』と信じない親戚のおばちゃんはいましたが、 それほど父の社会的地位は高かったということです。
娘孫は助けないけれど、立派な父
母が亡くなった時、父の立場上、会葬者の多い立派な葬儀がとりおこなわれました。当然、いただくお香典もかなりの数です。
そのお香典を父は、全額赤十字に寄付しました。寄付したことへの感謝状をわざわざ額に入れて、母の納骨だったかいつだったかの法事で施主として皆に泣きながら披露していました。
私、正直シラ~です。立派なんでしょう。素晴らしいことでしょう。でも、娘孫が困窮状態のときに1円も支援してくれず、お香典は全額寄付ですか。
もちろん、比べるようなことではないですが、私より大変な人達への寄付なので私がとやかく言うべきことではないのは分かっています。私は結局、自力でどうにかなってるわけですしね。
香典が欲しいと言っているのではありません。あんな立派な葬儀をお香典に助けてもらわず全額自費でとりおこなえるほどの人なんだ、という、自分の父という実感の全くのない別の世界の人間といった感じでした。
そう思うとそりゃ親戚も私がお金をもらっていないことが信じられないでしょうね。私だって信じられないです。
父の行為自体は立派なことかもしれませんが、全額寄付したことを母の法事で親戚一同の前で感謝状まで出して披露したことにはちょっと引きました。
寄付したことは、父の胸のうちだけにしまっておけばいいことで、法事で披露する必要性などないと私は思うからです。そして母はそんなことを望んでいないと思ったからです。
社会貢献する父
この話のシリーズ(2)でもチラっとでてきましたが、父は70歳をすぎていますが、定年退職後も同じ職場でそのまま毎日仕事をしています。職場の1室を父のオフィスとして使用もさせてもらっているそうです。
出張もありますし、管理職の面談のようなことも担当しているそうです。でも収入はなく、ボランティアだそうです。元々出ないのか、父が断っているのかはよく分かりません。
出張にかかる交通費から宿泊代までを自費でまかなってまで仕事する70代って、よっぽどのお金持ちだと思うのって、庶民の邪推というものでしょうか。
父になんでそこまでして?と聞いたことがあります。
父「今まで私を育ててくれてお世話になった職場だから、私でできることは還元したい。」
立派ですね。もう立派、としか言いようがありません。
朝8時半に追い出されて行った公園。ひたすら棒と松ぼっくりで遊ぶ子供。さて、子供はどこでしょう。
私が間違っていた
父は社会的に立派な人なんでしょう。父として祖父としてではなく、社会人として。それが父の生きる道なのでしょう。
そこに私が『孫をかわいがってくれる普通のただのおじいちゃん』を知らず知らずのうちに求めてしまったことが間違いだったことに今ようやく気付きました。
ドロドロした気持ちでこのシリーズを始めましたが、読んでくださる方がスターをつけてくださったりブックマークしてくださったりして、とてもとても励まされました。勝手に、私と同じように思ってくれる人がいるんだってほっとしました。
みなさんのおかげで、ずいぶんスッキリしました。ブログをやっていなかったら、まだ一人でドロドロしていたと思います。本当にありがとうございます!