卒業式も終わり、今日から春休みですね。卒業式で6年生のために歌う歌の練習のお話の続きです。
東京の学校のお友達を思い出して、練習で涙したという子供。翌日も浮かない顔で帰ってきたので、もう受け止めるのはやめることにしました。
メソメソにうんざり
前日涙したときも、それまでに東京の友達を思い出して涙したときも、「我慢しなくていい」「泣きたいだけ泣けばいい」と、子供の感情を吐き出させるようにしてきました。
でも翌日も変わらず思い出してこっそり泣いたという。そして分かりやすく家でしょんぼり。ずっとしょんぼり。いつまでもしょんぼり。
だんだん面倒くさくなってきた私。これがあと1週間、卒業式まで続くの?いやいや、勘弁してください。
それに今回は感情うんぬんじゃない気がして、もしや受け止めすぎてた?と思い、少し突き放してみることに。
私「そんなに悲しいなら明日から学校は休もう。卒業式も欠席にしよう。」(あくまで冷静沈着に)
子「え?なんで?」
私「だって歌の練習でそんなに毎日悲しくなるなら、そこまでして歌う必要はないよ。」
子「え・・でも・・」
私「それにね、今ってなんのために歌の練習してるの?」
子「卒業する6年生のため」
私「でもあなたは6年生のこと思って歌ってないよね?」
子「・・・」(はっとした顔に)
私「歌ってるとき、ずっと東京のお友達のことを思って歌って悲しくなってるんだよね?」
子「・・・うん。」
私「じゃあ、卒業式はやっぱり欠席しましょう。6年生たちは、あなたが自分たちのことを思って歌ってくれてると思っているのに、あなたはそうじゃないって知ったらとても悲しいと思う。あなたが東京のお友達を思って悲しくなる気持ちはとてもよくわかるけど、6年生も自分たちのためにあなたが歌ってくれてないと思うと悲しい気持ちになると思うよ。だからあなたは歌わない方がいいと思う。」
しばし真剣に考える子供。
子「明日は6年生のことを思って歌ってみる!だから学校に行く!」
吉とでるか凶とでるか
翌日帰ってきた子供の口からは、
「やっぱり泣いちゃった」
凶がでちゃった!と思いきや、
「6年生のことを思って歌ったら、6年生とのお別れが悲しくてちょっと泣けてきた。でも東京の友達のことは全然思い出さなかった。そのあとも辛くならなかった!大丈夫だったよ!」
吉と出ました。そうかあれでいいんだ。ただ子供が単純なのかもしれませんが、1年前にあんな話をしても、私が意図するところには子供の考えは到達しなかった気がします。
その日から卒業式まで毎日6年生のことを思って歌の練習をしたそうです。もう辛くなったりすることもなかったようで、家で落ち込むこともありませんでした。
卒業式では他の在校生と嗚咽するほど号泣したそうで・・・。転入して1年も一緒に過ごしていない6年生のことを思ってそこまで泣けるのってある意味うらやましいです。
子供の成長と対応の変化
このやり取りが論理的なのかどうかはさておき。(自分が論理的をいまいち理解していないのにタイトルにしてしまった)
人とのお別れに対して私は驚くほどドライなので、私とは正反対の子供の気持ちがいつも全く分からなくて、「理解はできないけれど、とりあえず受け止める」ことしかできませんでした。
でもなんでもかんでも受け止めればいいというものでもないんだなと今回のことで勉強になりました。
小さいころにはそれでよかったのかもしれませんが、当たり前ですが子供は成長していきます。親の対応も成長させていかないと、どんどんズレが生じてくるんでしょうね。
あぁでももうズレは生じているのかも。私はそこまで敏感には生きられません。少々生じてもいいやくらいで一緒に暮らさないと身が持ちません。
ほどほどにしっかり子供を見て、ほどほどに暮らしていきます。